下戸はお酒が飲めない・お酒に弱い人のことを指す言葉ですが、歴史上の人物・偉人にもたくさんの下戸がいました。
本記事では下戸の偉人を30人ご紹介していきます。お酒に関するエピソードも合わせてご紹介していくので、雑談ネタにでも使ってみてください。
ちなみにですが、本記事の筆者である僕はビール1杯も飲めないくらいお酒が弱かったです。
しかし、ある方法を7年・30万円以上もかけて発見し、それを実践することで今ではビールを10杯くらい飲んでも全然平気になりました。
そんな究極の方法を以下でご紹介しているので、気になる人はぜひ以下のボタンからチェックしてみてください。
下戸の偉人30人
では早速、下戸の偉人を30人ご紹介していきます。
順番に特に意味はありません。
1:西郷隆盛
西郷隆盛は幕末期に活躍した薩摩藩の武士でしたが、下戸だったと言われています。
薩摩は現在の鹿児島県に相当します。
九州の人はお酒に強いことが統計的にわかっているのですが、西郷隆盛は下戸でした。
※「お酒の下戸の割合は?世界的には?徹底調査してみた」もぜひ参考にしてください。
西郷家の奉公人だった中間長四郎は西郷隆盛に関して「お酒も焼酎もあまり好まず、酔っ払った様子は見た事もない」と話していました。
西郷隆盛の下戸エピソードは「西郷隆盛は下戸だった!肥満になった理由とは?お酒エピソードも」で詳しく解説しているので、ぜひ合わせてご覧ください。
2:勝海舟
勝海舟も下戸であったと言われています。
勝海舟は武士・政治家として明治維新を率いた重要人物のひとりです。
特に戊辰(ぼしん)戦争においては幕府軍の軍事総裁となり、江戸城無血開城に大きく貢献しました。
3:山本五十六
山本五十六は戦時中の日本で英雄と呼ばれた海軍軍人です。
連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を実行した人物として知られています。
山本五十六は下戸でお酒が飲めなかったため、宴会などで山本の徳利(以下画像)には輪ゴムが巻いてあり、その徳利にはお酒を入れずお茶を入れていたそうです。
※徳利=細長くて口の狭い、お酒を入れる容器
4:チンギス・ハン
モンゴル帝国を建国したことで有名なチンギス・ハンも下戸だったと言われています。
ちなみにですが、チンギス・ハンは人類史上で最も多く自分の遺伝子を広めることに成功した男性と言われています。
下戸体質は遺伝するので、チンギス・ハンの子孫は下戸が多いかもしれませんね。
※「下戸は遺伝子で決まる!でも下戸を治す方法はあるのでご紹介します」もぜひ合わせてご覧ください。
5:芥川龍之介
芥川龍之介もお酒に弱い下戸であると同時に甘いものが好きな甘党であったとも言われています。
『都会で』という作品の中では以下の文章を記しています。
雪の降つた公園の枯芝は何よりも砂糖漬にそつくりである
引用:芥川龍之介『都会で』
芥川龍之介の他にも下戸かつ甘いもの好きの人はたくさんいたと言われており、このことから下戸の類語の1つが甘党となりました。
詳しくは「下戸を甘党と言うのはなぜ?歴史的背景からわかりやすく解説」をご覧ください。
6:ヒトラー
ヒトラーはユダヤ人を絶滅させた元ドイツの首相です。ドイツを一党独裁国家にして、ナチス政策を実施しました。
ヒトラーはお酒を飲まない下戸であっただけでなく、タバコも吸わずベジタリアンでもあったと言われています。
ヒトラーは野菜中心の食生活が健康問題を解消し、魂の再生をもたらすものだと考えていたようです。
7:大久保利通
大久保利通は先ほどご紹介した勝海舟と同じく明治維新の指導者の1人です。
かなりお酒の弱い下戸であったと言われています。
大久保利通は岩倉具視らと結んで1867年12月に王政復古の大号令を実行したことでも有名です。
8:織田信長
最も有名な戦国武将と言っても過言ではない織田信長は下戸かつ甘いもの好きと言われています。
織田信長は特に干し柿を好んで食べていたと言われており、その中でも美濃(岐阜県)の名産である「堂上蜂屋柿」という干し柿が好きだったようです。
「堂上蜂屋柿」は平安時代から蜜よりも甘い柿と言われており、天皇などにもたびたび献上されている有名な干し柿です。
織田信長はこの干し柿を常備していたと言われています。
9:夏目漱石
小説『坊っちゃん』で有名な夏目漱石も下戸だったようです。
実際に、夏目漱石が書いた『文士と酒、煙草』には以下の文章があります。
一杯飲んでもまっかになるくらいですから、とうてい酒のおつきあいはできません。いつかロンドンにいる時分、浅井さんといっしょに、とある料理屋で、たったビール一杯飲んだのですが、たいへんまっかになって、顔がほてって町中を歩くことができず、ずいぶん困りました。
引用:夏目漱石『文士と酒、煙草』
10:石田三成
関ヶ原の戦いで有名な石田三成も下戸であったと言われています。
石田三成は関ヶ原の戦いで織田信長に敗れた後、数日後に捕まり、六条河原で処刑されてしまいました。
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11:明智光秀
本能寺で有名な明智光秀はお酒が飲めないかなりの下戸でした。
しかし、当時、織田信長が開催する酒宴には付き合わなければなりませんでした。
ある日の酒宴で明智光秀はお酒を飲み、顔が赤くなってしまったので外で風を浴びていました。
※「お酒弱いと手が震える?目の充血や顔が赤くなるのはなぜ?対処法も」という記事もぜひ参考にしてください。
すると、そこに織田信長がやってきて「外に逃げ出そうとしていたのではないだろうな?」と明智光秀を問い詰めました。
それに対して明智光秀は「いえ、酔いを覚ますために外に出ていただけです」と言うと、織田信長は「そうか。酔いが覚めたならもっと飲めるだろう」と言い、明智光秀にさらにお酒を飲ませようとしました。
今でいうところの完全なアルハラです。
しかし、明智光秀が「これ以上はもう飲めません」と言うと、織田信長は「ならばこのお酒を飲むか、刃を飲むかのいずれかにせよ」と言い放ち、刃を突きつけたらしいです。
明智光秀は仕方なくお酒を飲んだそうです。
12:ナポレオン
フランス革命後の混乱を収拾し、軍事独裁政権を確立したことで有名なナポレオンも下戸でした。
しかし、現在はブランデーの等級の1つとして「ナポレオン」という指標が使われています。
13:毛沢東
毛沢東は今の中国の建国者とも言える人物であり、同時に一党独裁体制の中国共産党の創立メンバーの一人です。
毛沢東はワイン1杯飲むだけで顔が真っ赤になるくらい下戸体質だったそうです。
ちなみにですが、ワインのアルコール度数は14度程度で強めなので下戸の人は飲まないようにしましょう。
その他のお酒のアルコール度数は「お酒飲めない下戸だけど飲みたい人はどうすればいい?1日で酒豪になれる方法もご紹介」でご紹介しているので、ぜひ参考にしてください。
14:近藤勇
近藤勇は江戸時代末期の武士で、新選組局長です。
新撰組とは幕末の京都で活動していた、今で言うところの警察のような役割を持っていた集団のことです。
近藤勇は酔う前に必ず盃(さかずき)を伏せたと言われており、お酒よりも甘いものが大好きだったそうです。
※盃=酒を飲むのに使う容器のこと(以下画像)
また、近藤勇はかなりの大食いらしく、とろろ飯を19杯食べたという逸話も残っています。
15:土方歳三
土方歳三は新撰組の副長です。
先ほどご紹介した近藤勇と同じく下戸だったそうですが、近藤勇と違ったのは甘いもの好きではなく辛いもの好きだった点です。
土方歳三は特に沢庵(たくあん)が好物だったそうです。
16:豊臣秀吉
有名戦国武将の1人である豊臣秀吉も下戸だったと言われています。
豊臣秀吉は身長140cm・体重45kgという超小柄な体型だったと言われています。
体が小さい人は大きい人よりも体内の水分量が少ないので、下戸になりやすいです。
体の大きさとお酒の強さに関しては「お酒弱い女子の特徴は?印象について男子100人にアンケート」で詳しく解説しているので、興味がある人はぜひ参考にしてください。
17:カエサル
カエサルは共和政末期ローマの政治家です。
ローマ帝国というヨーロッパ初の大国を成立させた功績を持っています。
カエサルは下戸だっただけでなく、かなりの味音痴だったそうです。
カエサルはとある宴会の席で出されたオリーブオイルが粗悪なもの(猫のおしっこの匂いがしたらしい)だったにも関わらず、何食わぬ顔で完食したという逸話があります。
18:ロベスピエール
フランス革命の最中で恐怖政治の総指揮者と恐れられていたロベスピエールもかなりの下戸でした。
※恐怖政治=権力者が投獄などの苛烈な手段によって反対者を弾圧して行う政治のこと。
お酒を飲まないだけでなく、タバコも吸わない禁欲的な人物で、お金にもこだわらず規則正しい生活をしていたと言われています。
19:マホメット
マホメットはイスラム教の創始者です。イスラム教ではモーセとイエス・キリストに続く預言者と言われています。
現在のイスラム教国(アフガニスタンやイスラエルなど)では多くの国で飲酒が禁止されており、それらの国々ではお酒の製造や販売も禁止されています。
20:スターリン
スターリンはソ連を従来の農業社会から工業社会に変えることでアメリカに匹敵する力を持つことを目指し、五ヵ年計画を実行しました。
スターリンはヒトラーよりも人民を大量虐殺としたと言われています。
スターリン自身はお酒が飲めませんでしたが、人にお酒を大量に飲ませるのが好きだったそうです。
21:篠原国幹(しのはらくにもと)
篠原国幹は西南戦争のときの薩軍の1番大隊長で下戸であったと言われています。
篠原国幹は無口で潔癖であったとも言われており、薩摩の人たちに大変慕われたとのことです。
22:高島鞆之助(たかしまとものすけ)
高島鞆之助は明治維新後に侍従番長および教導団長を務め、西南戦争に別働第1旅団司令長官として出征した軍人です。
大阪で有名な大学の1つである追手門学院大学を創設した人としても知られています。
23:森鴎外
森鴎外は明治を代表する文豪の1人で下戸であったと言われています。
森鴎外はお酒が飲めない代わりにサイダーをよく飲んでいたそうです。
24:徳川家康
江戸幕府を作ったことで有名な徳川家康も下戸でした。
徳川家康は健康に気を使っており、偏食を避け、あらゆる食べ物をバランス良く食べていたとのことです。
25:武市半平太(たけちはんぺいた)
武市半平太は坂本龍馬の親友で、幕末の土佐藩郷士でした。 土佐勤王党の盟主でもあります。
武市半平太もかなりの下戸であったと言われており、猪口2杯で酔ってしまうほどだったそうです。
※「猪口」は「ちょく」と読みます。以下のようなお酒を飲むための小型の器のことです。
26:毛利元就
毛利元就は戦国時代に中国地方のほぼ全域を制覇し、一代で大国を築き上げることで「戦国の雄」と称された戦国武将です。
毛利元就はお酒が全然飲めない下戸であったため、それが良い原因となり当時としては相当な長寿である75歳まで生きたと言われています。
27:安倍晋三
2022年7月8日に奈良市で発生した安倍晋三銃撃事件で亡くなった安倍晋三元内閣総理大臣も下戸でした。
2006年の総理就任時にはお酒は一滴も飲めないと報道されています。
しかし、飲み会や宴会などには積極的に参加していたようです。
28:村田新八
村田新八は西郷隆盛に従って国事に奔走した薩摩藩氏です。
西南戦争では薩摩軍の大隊長として戦いましたが、城山で戦死したとされています。
村田新八も西郷隆盛と同じく下戸であったと言われています。
29:ガンディー
第一次世界大戦後のインド独立運動の指導者として有名なガンディーは非暴力と禁酒を提唱し、自身もアルコールを摂取しなかったことで知られています。
ガンディーは確かにお酒を飲まなさそうな見た目をしていますね。
30:クレオパトラ
世界三大美女の1人と言われているクレオパトラも下戸でお酒を飲まなかったそうです。
ちなみに、今はクレオパトラカクテルというラム酒をベースにしたカクテルがあります。
アルコール度数は40%程度とかなり高めで、透明感のある柔らかな黄金色が特徴のお酒です。
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今回は下戸の偉人30人をご紹介していきました。
かなり有名な偉人も何人かいましたね。ぜひ豆知識の1つとして活用してください。