誰もが知る有名な歴史上の人物の一人である西郷隆盛ですが、彼は下戸であったことで有名です。
※下戸=お酒が飲めない・お酒に弱い人のこと。
本記事では西郷隆盛と下戸に関する・お酒に関するエピソードをいくつかご紹介していきます。
ちなみにですが、本記事の筆者である僕はビール1杯も飲めないくらいお酒が弱かったです。
しかし、ある方法を7年・30万円以上もかけて発見し、それを実践することで今ではビールを10杯くらい飲んでも全然平気になりました。
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西郷隆盛は下戸だった!
西郷隆盛は幕末期に活躍した薩摩藩(現在の鹿児島県)の武士です。
西郷隆盛の大きな実績としては大久保利通と共に薩摩藩を率いて徳川幕府を倒し、明治政府を成立させたことです。
※「下戸の偉人30人まとめ!お酒に関するエピソードも合わせてご紹介」もぜひ合わせてご覧ください。
そんな西郷隆盛はお酒に強い人が多い九州(鹿児島県)の出身ですが、実はかなりの下戸だったと言われています。
※九州の人はお酒に強いことが統計的に判明しています。詳しくは「お酒の下戸の割合は?世界的には?徹底調査してみた」をご覧ください。
西郷家の奉公人だった中間長四郎は西郷隆盛に関して「先生(西郷隆盛)はお酒も焼酎もあまり好まず、酔っ払った様子は見た事もない」と話しています。
また、西郷隆盛はどうしても参加しなければならなかった酒宴で焼酎飲むことになってしまい、その結果すぐに酔い潰れてしまうこともあったそうです。
※「お酒飲めない人のための飲み会指南書・1日で酒豪になれる究極の方法」もぜひ参考にしてください。
西郷隆盛は下戸なのに肥満になった理由
西郷隆盛の身長は約180cmでした。当時の男性の平均身長は155cmだったのでかなりの高身長となります。
そして、体重は110kgほどあったと言われており、かなりの肥満体型だったことがわかります。
お酒を飲まない下戸でも肥満な人はいますが、西郷隆盛は黒豚やウナギなど脂身の多い高脂質な料理や甘い物が大好物だったそうで、かなりの大食いだったと言われています。
甘い物の中では特に団子やお餅、黒糖やきなこなどの和スイーツが大好物だったそうです。
※ちなみにですが、下戸の類語は甘党です。詳しくは「下戸を甘党と言うのはなぜ?歴史的背景からわかりやすく解説」をご覧ください。
西郷隆盛は1877年に起こった西南戦争時には不整脈になってしまい、反乱軍の指揮もままならなかったとされています。
※不整脈の要因の1つとしては偏った食生活があります。塩分や脂肪分を摂取し過ぎないようにし、身体や自律神経のバランスを崩さないような食事をすることが重要です。
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今回は西郷隆盛と下戸・お酒に関するエピソードをご紹介していきました。
お酒を飲まない下戸の人でも食生活には普段から注意しましょう。