下戸を甘党と言うのはなぜ?歴史的背景からわかりやすく解説

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お酒が飲めない・お酒が弱い人のことを下戸(げこ)と言いますが、下戸は甘党(あまとう)と言われていたりもします。

「甘党」と聞くとケーキやチョコなど甘いものが好きな人のことを思い浮かべることが多いですが、なぜ下戸=甘党なのでしょうか?

本記事では下戸を甘党と言うのはなぜかについて歴史的背景からわかりやすく解説していきます。

ちなみにですが、本記事の筆者である僕はビール1杯も飲めないくらいお酒が弱かったです。

しかし、ある方法を7年・30万円以上もかけて発見し、それを実践することで今ではビールを10杯くらい飲んでも全然平気になりました。

そんな究極の方法を以下でご紹介しているので、気になる人はぜひ以下のボタンからチェックしてみてください。

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下戸を甘党と言うのはなぜ?

下戸を甘党と言う理由についてはいくつかの説があります。

本記事では考えられる説をすべてご紹介していきます。

1:下戸は甘いお酒を飲みがちだから

下戸の人はアルコール・お酒に弱いため、アルコール度数が高くない甘いお酒を飲むことが多いとされています。

甘いお酒の例としてはリキュールや果実酒、チューハイ、ウイスキーなどがあげられます。

下戸=甘いお酒を飲みがちという背景から下戸=甘党になったというのが1つの説です。

※様々なお酒の度数については「お酒飲めない下戸だけど飲みたい人はどうすればいい?1日で酒豪になれる方法もご紹介」でまとめているので、ぜひ参考にしてください。

2:歴史上の人物に下戸で甘党がいたから

芥川龍之介や西郷隆盛、織田信長などは歴史上の有名な人物ですが、かなりお酒に弱く下戸であったとされています。

※「下戸の偉人30人まとめ!お酒に関するエピソードも合わせてご紹介」もぜひ合わせてご覧ください。

また、下戸であると同時に甘いものが好きな甘党であったとも言われています。

このことから下戸=甘党になったというのが2つ目の説です。

特に芥川龍之介は大の甘党(甘いもの好き)だったそうで、『都会で』という作品の中では以下の文章を記しています。

雪の降つた公園の枯芝は何よりも砂糖漬にそつくりである

引用:芥川龍之介『都会で』

さらに、『しるこ』という作品の中では1923年に発生した関東大震災以降、東京で汁粉屋が減ってしまったことについて以下の文章を記しています。

※汁粉屋=お汁粉(おしるこ)を販売しているお店のことです。

お汁粉

僕等下戸仲間の爲(ため)には少からぬ損失である。のみならず僕等の東京の爲にもやはり少からぬ損失である。

引用:芥川龍之介『しるこ』

西郷隆盛は言わずと知れた薩摩(現在の鹿児島)の有名武士です。

お酒の下戸の割合は?世界的には?徹底調査してみた」でも解説した通り、九州の人はお酒に強い傾向がありますが、西郷隆盛は下戸だったそうです。

西郷隆盛は団子やお餅、黒糖やきなこなどの和スイーツが大好物だったそうで、体型もかなり肥満体型でした。

※「西郷隆盛は下戸だった!肥満になった理由とは?お酒エピソードも」という記事もご用意しているので、ぜひ合わせてご覧ください。

そして、有名戦国武将の織田信長はドライフルーツの干し柿が大好物だったと言われています。

干し柿

織田信長は干し柿の中でも美濃(岐阜県)の名産である「堂上蜂屋柿」という干し柿を特に好んで食べていました。

「堂上蜂屋柿」は平安時代から蜜よりも甘い柿と言われており、天皇などにもたびたび献上されていました。

また、織田信長は干し柿を家来や部下へのご褒美としても使っていたそうです。

織田信長は干し柿を常に常備していたと言われています。

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3:万里の長城建設時の門番に甘いものを配っていたから

世界遺産にも登録されている中国の万里の長城ですが、万里の長城が建設されていた秦の時代、たくさんの人が門番として万里の長城で働いていました。

※門番=出入りする人を監視したり案内したりする人のこと。

万里の長城

万里の長城には「上戸」と呼ばれる厳しい寒さで有名な山上の門と「下戸」と呼ばれる往来の激しさで有名な平地の門がありました。

門番として働いている人たちの苦労をねぎらうために、上戸の門番には体を温める効果があるお酒を、下戸の門番には疲れを癒やす効果のある甘いものを支給していたそうです。

以上の歴史的背景から下戸=甘党となったという説もあります。

ちなみにですが、上記の通り下戸の反対は上戸(じょうご)です。詳しくは「下戸の反対は?上戸・ザルの意味は?対義語(反対語)や類語を徹底紹介」をご覧ください。

4:下戸の人はみりんをお酒の代わりに飲んでいたから

調味料の1つとして活用されることが多いみりんですが、みりんはお酒と同じく「蔵」で丁寧に造られており、アルコールも含まれています。

実は、みりんは戦国時代に甘い高級酒として誕生しているのです。

昔、下戸の人はみりんをお酒の代わりとして飲んでいました。

みりんをそのまま飲んだことがある人は少ないかと思いますが、みりんは甘い味がします。

以上より、下戸=甘党となったという説もあります。

下戸=甘党(甘いもの好き)が多いは本当?

以上で下戸が甘党と呼ばれる説をご紹介していきましたが、下戸=甘党(甘いもの好き)が多いという噂は本当なのでしょうか?

この噂については嘘となります。嘘というより、お酒が飲めないことと甘いもの好きかどうかは関係ありません。

※もちろん、下戸の人たちを集めて「あなたは甘いもの好きですか?」という調査を実施した訳ではないので、もしかしたら下戸の人の多くは甘いもの好き(甘党)であるという統計結果が得られる可能性はあります。

自分が下戸かどうかは遺伝でほとんど決まります。両親が下戸であれば基本的にその子供も下戸となります。

※詳しくは「下戸は遺伝子で決まる!でも下戸を治す方法はあるのでご紹介します」をご覧ください。

そして、下戸は甘いもの好きであるというのは医学的には認められていません。

下戸=甘党(甘いもの好き)というのはイメージが先行しているだけです。

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今回は下戸を甘党と言うのはなぜかについて4つの説をご紹介していきました。

ぜひ豆知識の1つとしてストックしておいてください。